8月 9日(木)
朝、4時に目覚めると室内灯がすべて消えていました。念のため、ベットの明かりを点灯しましたが暗いままでしたので、足元に気を付けながらシャワールームに行くとその明かりはつきましたが、蛇口の水か出てこなくトイレのバキュームも故障していました。レセプションに行って、状況を説明しましたが、すべてのルームでそのような状況となっているとのことでした。しばらくして電灯は復旧しましたが、洗面台の水やトイレは故障したままでしたので、再度レセプションに通報すると間もなく、蛇口から汚れた水が勢いよく噴出してその後きれいな水に戻りました。結局、バタバタしているうちにヨガ・ストレッチ教室の時間となり開場を待っていると、いつものメンバーが集まってきて、停電の話でもちきりになりました。前日、午後からのヨガ・ストレッチに参加しなかったので、シアトルでお世話になった市橋佳那子さんにお礼が言えなかったので、この機会にお礼をさせていただきました。
9時からは98回洋上麻雀大会がありましたが、私は9時から参加して第1回戦で敗退し、栗さんも10時からの参加でしたが敗退しました。勝ち進めば、午後1時から準決勝でしたが何もなくなってしまったので、15日のお別れ会に向けた名簿作りに取り組むことになりました。パソコンを立ち上げて、その後は栗さんが常さんからの情報を聞きながら印刷できるところまでこぎつけました。途中、沖縄の踊りの練習があったので参加しましたが、男は私たち3人だけでした。手の動きが特徴的でしたが、男踊りはこぶしを使うというので少々楽になりました。これから、お別れ会までの数日間1-2時間程度練習を重ねるようです。思い出に沖縄の踊りも覚えるのもよいことと思います。
8月10日(金)
朝、4時に起きてヨガ・ストレッチの会場に行くと時間を間違えた人たちが多くいました。1時間遅く始まるのですが、会場に来て道具を置いて帰る人がいました。私も道具を置いて6階で別な作業をしていましたが、会場に向かうと栗さんが熱を出していて咳も出るので休憩するとのことでした。ヨガの市橋佳那子さんも心配して薬を持ってきてくれて、栗さんは部屋に戻って休むことになりました。すずさんからフルーツパーティのお誘いをいただきましたが、栗さんの体調と常さんの都合がつかなく、明日に変更することとなりました。13日にダンスの発表会があるので、社交ダンスやサルサダンスは最後の追い込みで、大忙しとなってきました。しかし、常さんは15日のお別れ会で沖縄のエイサーを踊ることとなって、その練習時間とみんなでサルサとバッテングしたため苦渋の結果、沖縄のエイサーに参加することとなり、私はみんなでサルサに出ることになりました。ダンスの練習に行こうとすると、三浦由美さんがクジラのソーセージを持ってきて、食べて欲しいと、もってきました。明日のフルーツパーティに付け加えようかと思います。
ダンスパートナーのすずさんは社交ダンスの練習に参加しましたが、バンビさんが折り紙の自主講座に参加することとなり、みんなDEサルサは欠席となりました。ところが新技の披露があり、常さんとバンビさんにお知らせする必要が出てきました。みんなDEサルサの練習が終わって、部屋に戻ると既に、栗さんと加茂さんは食事に出かけたようでしたので、食堂に向かうとバンビさんに会い、栗城さんの熱の様子を聞かれたのでまだ測っていないというと、体温計を貸してくれました。お借りした体温計を持って食堂に行くと、ちょうど栗城さんと加茂さんの食事が終わったようで体温計を渡して、私は共通の知人の大島さんと昼食をとりました。
その後、第90回クルーズの会合での写真や茨城県人会の写真をプリントして、各人に配布できるようにしました。
午後、3時過ぎになってバンビさんからサルサの練習をしたいとの申し出がありましたので、7階のブロードウエイの前で練習をしようかとなりましたが、すずさんが部屋を使ってくれとの話でそこで新たな技の確認を行いました。栗さんは、昼食後ズーット寝ていましたが、5時ころに起きて加茂さんと3人で食事に行こうと準備をしていると、常さんが一緒するといって合流しました。
また、波平の会食に参加するといって、食後はそれぞれとなりました。本日はまた、1時間ほど時間を戻すことになるので、長い夜となりそうです。
8月11日(土)
今朝は4時前に起きましたが、栗さんは体調が悪く6時からのヨガ・ストレッチに参加できませんでした。すずさんはヨガ・ストレッチの前に4時10頃から中文講師の朝の体操に参加のしてきたようです。講師のお市さんにこれまでの写真をプリントしてお渡しして、栗さんの病状も報告しました。朝の9時から社交ダンスの教室がありましたが、13日のダンスパーティのリハーサルのような状況となっていました。すずさんとジルバ・ブルース・ルンバ・チャチャそしてワルツの基礎練習をしました。すずさんは19日の釧路で下船することとなって、さまざまと手配を進めたようです。また、昼食後に防災訓練の予定でしたが、波が高く揺れが激しいために中止となりましたが、常さんが15日のお別れ会の準備の関係で遅くなってしまったので、ほぼ予定通りの時間から、フルーツ会が始まりました。すずさんのおかげで7回のお茶会・フルーツ会を行うことが出来ました。ヨガ・ストレッチで知り合った関係ですが、大変親切にしていただき、私たち3人の船内生活を豊かにしていただきました。感謝しています。
15日のお別れ会の名簿、ジュース券、座席シート札などのパソコン仕事が多く、時々変更が出てきましたが、その都度、栗さんが丁寧に対応してやっとのことで、名簿49名分を作成しました。
座席シートは当日までに作る予定で栗さんが作業に入っています。
バンビさんとすずさんと夜の8時からバイーアでダンスの練習をする予定でしたが、船が大揺れになったためあえなく中止となりました。栗さんは夕食後にレセプションに行ってアイス枕の変更をしてもらいましたが、明朝も熱が退かなければ診療室に行くことにするようです。早く治ってもらいたいものです。今日も1時間ほど時間を戻すこととなり、長い夜となりそうです。大揺れのためデッキへの入場は禁止となり、ほぼ船内で時間を使うこととなりそうです。
8月12日(日)
朝早く、3時台に目覚めましたが揺れがひどく、廊下を歩いても千鳥足になりヨガ・ストレッチの会場に行くのも大変でした。会場に着くと早々と、揺れのため教室は中止との張り紙が出されていました。ヨガマットを持って戻ろうとすると、講師のお市さんがこれから眠ると大騒ぎをしていました。彼女の部屋は船首に近いところにあり、縦揺れが激しく寝ていても体が大きく浮き沈みするとのことでした。そのうえ、縦波が船首を叩くような大きな音がしてズーット眠られなかったといっていました。私たちの部屋は船中にあるので、揺れも音も比較的静かでした。午前中のヨガ・ストレッチ、健康サルサは中止となりましたが。明日、ダンスパーティの発表会があるので、そのリハーサルや準備のため、自主的な内容で開催されました。私は、社交ダンスはエントリーしなかったのですが、サルサダンスの相手をすることにしたので昼近くに、参加することとしました。
これまでの寄港地で写した写真で、私たち3人以外の人と映っているのがありましたので焼き増しをして、お渡ししました。昼過ぎに、サルサの自主練習を行い、演目は、ソンブレロ・メリーゴーランド・のけぞり・フリーハンド・両周り・セチェンタ・ソンブレロの順にしようと決めました。まだ未完成部分もありますが、明日の午後に完成させそのまま発表としました。今日も一時間ほど時間を遅くするので、バンビさんの提案で夜の7:30~生バンドでダンスしようということとなりました。ダンスパートナーのすずさんも参加して主にジルバとブルースを踊りましたが、ルンバやチャチャ・ワルツはなかなか生バンドでは踊れませんでした。夜の10:00近くまで踊りましたが、一時間ほど戻されるので実質的には9時に終わったのと一緒となりました。
8月13日(月)
朝のヨガ・ストレッチが再開されました。前日の揺れはすっかり納まり、市橋佳那子さんの話によると、深夜にはベルセウス座流星群が少し見られたようです。すずさんはヨガ体操の前にはバイーアでジャズ体操をやったようで、ヨガ・ストレッチも合わせると朝食前にかなりの運動をしたようでした。11日より延期された避難訓練は本日の9時15分から1時間程度実施されました。その後、サルサ発表会向けのリハーサルが本番の会場で行われバンビさんと詳細の打ち合わせを行いました。社交ダンス発表会が午前中に行われ、サルサは午後のファイナルパフォーマンスショウの中の一部として扱われました。13:40~さまざまな自主企画の発表の後、第2部のカルチャースクール発表のトップバッターとして出ることになりました。バンビさんとは13:00と15:00に30分程練習を重ね、何とか見せられる程度のものになったようでした。実際には16:00~スタートして、私たちの発表は10分程度のものでした。バンビさんやチーフコーディネーターの田村さんと記念写真を撮って、サルサダンスの思い出としました。
夜は前日のバイーアで、サルサダンスの反省を含めて踊りましたが、社交ダンス組が第2次会で会場になだれ込んできましたので、早々に閉会としました。今日も前日と同じく1時間ほど時間を戻すこととなり、長い夜となりますが、明日は14日ではなく15日となるという日付変更線通過による1日消滅日となりました。
前日、1日消滅日ということで15日の朝を迎えました。ヨガ・ストレッチの市橋佳那子さんや担当のチェアリーさんたちも深夜の企画に参加したらしく、すごく寝不足で眠たいようでした。ヨガ・ストレッチも残すところ16日・17日の2回となりました。健康を保つのに本当に役立つ運動だったと佳那子さんに感謝したいと思っています。持ってきた、ヨガマットは彼女に贈呈しようと考えています。今日は、社交ダンスの教室も行われ、2時間ほどすずさんと練習を重ねました。
すずさんは、釧路で下船となるため実質的に残すところ3日間となりました、サルサダンスに加えて社交ダンスを覚える気になったのは、すずさんとそのお友達のバンビさんのおかげで、何とかジルバ・ブルース・ルンバ・チャチャチャ・タンゴの1タイプ、までは覚えることが出来ました。しかし、他の受講生より3週間近く遅くスタートしたこともあって、ワルツに関してはそのルーティンの8割ぐらいしかマスターすることが出来ませんでした。特に、ワルツは第1ルーティンと第2ルーティンがあったのですが、第2ルーティンについては時間切れとなりました。ここまで付き合っていただいたすずさんと、バンビさんには深く感謝しています。何かお礼とは思いますが、下船手続きに忙しく、バタバタとお別れになりそうです。
昼食後は、オン・アワー・ウエイというクルナビで放映したもののまとめ篇の放映がありました。船内企画版と寄港地版がありましたが、船内企画版は若者中心に作成されていて、あまり共感できるものは少なかったようです。寄港地編は最初と最後に我々も出場しているようで、ユーチューブで保存されているようなので、帰国後見てみようかと思っています。夕方5時からは、常さんとカッチャン企画のお別れ会が開催されましたが、酒飲み友達の打ち上げ会でカラオケとかくし芸の披露で私的には、気乗りがしなかったのですが開会するまで協力してきた関係で出席しました。すずさんも協力して出席していただきましたが、開始して10分程度で退席しました。私もカラオケ大会が始まるころには、お腹が空いてきたのと眠たくなってきたので、栗さんに後を頼んで退席することとしました。カラオケ大会が始まったころには、退席者が多くなってきて私も躊躇しましたが、カラオケ参加者は盛り上がってきていたので、静かに退席させていただきました。常さん・カッチャンごめんなさいです。
今日も1時間時間を遅らせることとなりました。いよいよ日本との時間差は、2時間早くなって、あと2時間遅らせれば日本の時間と同じになります。
8月16日(木)
朝のヨガ・ストレッチも残すところ2回となりました。ヨガ教室のお市さんにはニューヨークやシアトルで同行してもらい、本場のミュージカルを見ることに協力をいただきました。日頃の教室に加え、さまざまな面で協力をいただきました。12:50分から市橋佳那子さんから、ヨガに出会えた皆さんへ!というテーマでヨガの話がありました。ヨガは、神様からの贈り物というのがインドでのヨガでの通称のようです。シャバアーサ(屍のポーズ)や頭たちのポーズ、魚のポーズ、など佳那子さんのおすすめのポーズも紹介されました。
今日は、14:00~全員出演映像撮影という企画があり、私はヨガストレッチグループに参加しました。同室の加茂さんは太極拳をしていましたが、顔なじみがいないので同室の私たちヨガグループに加わりました。その後、サルサダンスに出演した人を対象に集合写真会がありました。チーフコーデェネーターの田村美和子さんから、発表会参加表彰状をいただきました。一人一人にコメントが書かれていてなかなか気の利いたプレゼントとなりました。サルサは踊る機会は少ないかと思いますが、いつか機会があったら踊ってみたいものです。ラテンの音楽と踊りは元気が出ます。夕食後に生バンドでのダンスの時間がありサルサでパートナーとなったバンビさんと、ダンス教室でのパートナーのすずさんと残り少ないダンスを楽しみました。今朝、6階の共有トイレに行ったときに、タンブラーを置き忘れたのですが朝から夜まで、探し回りましたが見つかりませんでした。誰かが持って行ってしまったようです。残念です。
8月17日(金)
今朝はヨガ・ストレッチの最終日となり、終了後に記念写真会となりました。写真嫌いのすずさんもかろうじて、集合写真に写っていました。教室の終了後に私の使っていたヨガマットを市橋さんに差し上げ、お市さんに使ってもらえれば本望といえます。9時からは、社交ダンスの最終回となりましたが、ジルバ・ブルース・ルンバ・チャチャはなんとか合格点となりましたが、ワルツ・タンゴは及第点となりました。1時間の練習の後は、船酔いがするといって、その後のみんなでサルサについては、すずさんは卒業といって参加しませんでした。
代わりに、サルサでペアを組んだバンビさんと最後のサルサを楽しみました。その後、ヨガの集合写真をエアドロップできるというので、念のためUSBスッテックを持っていきました、その場でお市さんと写真を撮りたがる女性陣も多く、集合写真のシェア会は大変にぎわっていました。
今日は、フェアウエルカパーティとしてフェアウエルパーティーデナーが出ました、正装して栗さんと加茂さんと同室の3名で5時に会場に向かいました。料理は、ビルトウオッソ(赤ワイン)、生ハムとメロンのサラダ仕立て、ポタージュパルマンティ、牛肉の赤ワイン煮込み、パン、デザートにブラックフォレスト(チョコレートケーキ)そしてコーヒーでした。その後、7階のパーティに参加するために、会場に行きましたが、船長との記念写真を撮った後は開会までかなりの時間があったので、もう一つ上のフロアのシャルウイダンス会場に行きました。そこで、すずさんたちから夕食会場で、しばらく待ったといわれ大変申し訳なかったです。その後、7階のパーティ会場に移り、船長たちからの挨拶を受け全体でさよならパーティを開きました。
パーティが終わって、シャルウイダンスをバンビさんとすずさんと楽しみました。さらにすずさんのお友達の百美さんも来られ、ジルバを楽しみました。
8月18日(土)
パッキングディということで、朝の体操やヨガ・ストレッチは終了していました。他の体操も船内新聞に書いていなかったので、ふらふらしていると急に栗さんがサルサ健康体操が始まるとバンビさんから電話があったと呼びに来ました。そこで、いつものブロードウエイに行くと既に田村美和子さんが壇上で張り切って踊っていました。バンビさんもピアノの練習後に体操が始まったので、サルサ体操をしました。9時から自主練習をしようというので、すずさんを誘って7階に集まりましたが、10時からパスポートや税関申請書の受け取りと寒いのと揺れが激しくなったので9時の自主練は中止としました。時間が中途半端でしたので、カサブランカというバーで、カプチーノとホットサンドイッチを食べました。本当はフレッシュジュースを飲みたかったのですが、在庫切れですずさんはホットサンドだけで私がカプチーノをいただきました。
本日はパッキングディということで一応荷物の仮収納を終わり3個口としました。夕食後にバイーアで生バンドで踊ろうということになりましたが、踊る人が少なくすずさんも眠たくなってきたというので、ほんの1時間ほどで終了としました。
明日は、最終寄港地の釧路で北海道の人はここで降りる人が多く、ダンスパートナーのすずさんもここで降りることになったようです。
8月19日(月)釧路寄港地
今朝は、4時台に起きましたがすでに携帯電話の電波が届き、朝5時ころに家に電話することが出来ました。日曜ですが昨日から涼しくなってきたこともあり、家内は朝散歩に出かけるとことといっていました。朝7;00に釧路中央埠頭7号岸壁に着岸しました。8時からの入国対面審査があるというので、下のフロアの方の順番が遅くなりそうでしたが、急にすべての乗客員全員と案内がなされ、一斉に外出しようと込み合っていました。私たちは阿部さんと月尾さんと久米本さんと一緒の予定でしたが、久米本さんが急ぐというので行動を別にしました。すずさんは下船するとのことで、早くから対面審査を終わり下船の準備に取り掛かっていました。バンビさんとそのパートナーの山田さんが、すずさんを待っていましたが、一緒に和商市場で待つこととしました。すずさんのお友達が昆布を持参してバンビさんに提供していました、ついでに栗さんにもプレゼントしていました。昆布を渡すと、すずさんはその友達と駅に向かい恵庭に帰りました。その後バンビさんたちと別れ、生涯学習センター(まなぼっと)から幣舞橋方向の景観を楽しみ、海岸沿いのフイッシャマンズワークの2階屋台市場で昼食をいただきました、大ぶりのホッケ定食を食べて帰ろうとするとバンビさんと山田さんが来たので、私たちはじゃがバターを追加、バンビさんは日本酒を飲み山田さんは味噌ラーメンを食べました。帰船リミットが15:00でしたので14:30には戻りました。戻ると釧路市民の方々が盆踊りをしていて、船の出航まで踊っていただきました。
家に電話をすると、昨日から涼しくなったとのことで、家族は元気な様子でした。ラインを使ってテレビ電話をしようかと思っていたら、急に電波が途切れ通話が出来なくなりました。部屋に戻ると、同室の加茂さんが息子が会いに来たといって、息子さんからのお土産をいただきました。他にもピースボートの田村さんやレセプションの担当者にお土産を渡したいと意気込んでいました。加茂さんと夕食を済ませくつろいでいると、バンビさんが今夜はバイーアで踊りましょうとのお誘いがあったので、栗城さんと一緒に出掛けることとしました。加茂さんが、つまみにどうぞといって息子さんからの土産のトバを2袋いただきました。バイーアに行くと台湾からの乗客がお別れ会をしていました。席が不足していましたので社交ダンスの先生と同席となりました。生バンドで1時間ほどダンスや会話を楽しんで、明日も踊ろうとお別れしました。
8月20日(火)
今日は横浜下船者の最終日となりました。田村さんの約束通りサルサ体操が行われ、98回クルーズの最終回となりました。加茂さんも田村さんに息子からの土産を渡し、これまでの感謝をしました。別れを惜しむ参加者でなかなか会場は治まりませんでした、他にも別れを惜しむ方が多くなって始終、お別れの御挨拶となりました。下船に向けて荷物づくりをして、午後には荷物を取りに来ることとなり当面の洗面用具や下着などの身の回り品を除いたものは使えなくなってしまいました。午後、2時ころ3人の荷物が搬出されるとが寂しいくらいに、がらんとした部屋になっていました。加茂さんと遊び心で、2段ベットを1段に変えたりしましたが、一人残る柳野さんが帰るまでには元通りに戻しました。ほとんど、着替えもない状態でしたが、5時半の夕食と7時半からの生バンドのダンス会場に参加しました。常さんはジムトレーニングの教え子たちとのお別れ会を企画して私達とは行動が別となりました。
8月21日(水)
いよいよ最終日となりました。朝6時からの最終の朝食を3人と同室の加茂さんを交えていただきました。7:30分にパスポートの返却があり、9時に横浜埠頭に入港し10時近くには下船時間となりました。栗さんは娘さんが車で迎えに来るとのことで、ターミナルで待機することとなり、私と常さんは荷物を宅配便に出して送る手続きをして、電車で帰宅することとなりました。同室の加茂さんが横浜駅に行きたいというので、宅配便の手続きを済ませ一緒にタクシーに乗ろうとすると、常さんと常さんの同室の斎藤さんが一緒させてほしいとの話で、横浜駅まで同乗することとなりました。横浜駅に着くと昼食時間になったので、常さんと加茂さんと私の3名で昼食をいただきました。迷っていると、加茂さんが「天一」の天ぷらが食べたいと言い出したので、3人で同じものをいただきました。結局、加茂さんにご馳走していただく格好となりました。その後JRのビュープラザで北海道までの乗車券とはやぶさ・北斗の特急券を購入し、加茂さんを東京駅の新幹線乗り口まで見送ることとなりました。東京駅で常さんと加茂さんと別れてからユーロと米ドルの両替に行き、すべての外貨を日本円に戻しました。コインがいくつか残りましたが、記念にします。これで船の旅は終わりました。
5月8日出港して以来、105日間の北回り世界一周の旅も終了となりました。今回は、出発前から昔の職場の先輩の栗城さんと水泳教室や麻雀同好会で一緒している鈴木常司さんと同行しました。よい意味でも悪い意味でも105日間を共にした98回クルーズの中でも最も親密な関係となりました。船内では3馬鹿トリオとか仲良し3人組といって一度も話したことのない方からも挨拶をされるなど有名な存在となりました。
同室者との船内生活は82歳の加茂さん75歳の栗城さん、72歳の柳野さんとなりましたが、最年少の私でも69歳となり平均74.5歳の部屋となりました。4人が2段ベットを使っての生活ですが、上段のベットにはしごで登るのには結構、技術が必要でした。旅行の初めころにはベットのはしごから落ちて骨折をした方とか、怪我をされた方とかがおられ状況をお聞きすると、2階部分に繋ぐ梯子の連結部分が外れやすくなっているとかで、さっそくわが船室の2階使用者ははしごの整備に取り掛かりました。また、上段と下段の交代については私は最年少ということもあって、鼻から2階ベットを使っていましたが、82歳の加茂さんが2階に上がるのはちょっと気の毒に思えました。
しかし、加茂さんは日に日に元気になり旅行の後半は、デスノートの書き込みより研究論文を書きたいと意欲満々になってきました。不思議なもので年配の彼が元気になると、私たちも元気が出てくるようです。特に後半は紙飛行機や紙で作ったオートバイ、車などをピースボートスタッフにあげたり設計図を精密に書いたりと、大忙しの毎日でした。定時制の技術学校の講師だったらしく、機械工作には詳しくいくつもの特許を持っているとのことでした。息子さんは、釧路近くの漁港で働いておられ、ホタテやそのほかの魚介類の養殖に携わっておられるようです。釧路に寄った際に息子さんが私たちにホタテなどの土産を持って、来られましたがお会いする間もなく帰られたようです。お互いに、「まだ生きていたか」とか悪たれ息子とか言っているようですが、とても深い愛情で結ばれているようでした。
他の乗客員で一番お世話になったのが何と言っても、恵庭の鈴木さん(通称すずさん・エッチャン)と呼ばれる方でした。私のダンスパートナーとして、あるいは3人組のお茶会のまとめ役として、活躍いただきました。そのお友達のバンビさんも船旅をするうえで多くの参考となる情報をいただきました。楽しい船中生活を送るうえで欠かせない方たちでした。
他にも沢山お世話になった方がおられますが、旅行が終わってからじっくりと整理して、行きたいと思いました。息子がよく言っていましたが、旅行はどこに行くかではなく誰といったか、誰と出会ったのかが本当に重要だと思いました。この年になっても人との出会いの楽しさや発見が楽しむことが出来た105日間の船旅でした。
最後に、改めて旅行に同行していただいた栗さんと常さんには感謝するものです。一人ではなかなか実行できない自由行動や毎日の生活での協力体制など、一人で参加するよりも数倍旅を楽しむことが出来たと思います。急に予定が変更したり、行く方向が違っていたり多少の行き違いはありましたが、何とか協力し合って乗り越えてきました。恐れていた船中での病気や怪我も軽く済んで
常さんは最終的には診療室に行かずに自力で回復しました。一番健康的だった私が2回も診療室に通い一番治療費を払うこととなりました。何とか無事に戻ってこられたのも栗さんと常さんのおかげと思っています。ありがとうございました。