2018-07-06

ピースボート98回クルーズ 2018年6月15日~6月25日


6月15日(金)
 お市さんの約束通りに朝600~ヨガのレッスンがありました。社交ダンスのワルツレッスンに出てみると10名ずつ区切って、男女が組み合わされ練習が始まりました。初めて朝レッスン参加したので基本もわからずに戸惑ってしまいました。相手に気の毒でパスしようかと思いましたが、講師の先生からわからないから練習しなさいと言われて頑張りましたがかなり困難でした。わくわくルアーブルの情報を聞いて、とても眠たくなってきました。前日の疲れが出てきたようで、午後3時ころから夕食までぐっすりと寝てしまいました。夕食を終えてやはり眠たくなったので早々と眠りました。この日は1時間ほど時刻を早めるという逆時差になったので、夕方7時に寝ても8時に寝たことと同じになるといって早めに眠りました。ところが夕方の船内新聞の配布とともにモンサンミッシェルのバズチケットが入手できるという情報が入り急遽、常さんはやはり行きたいというので、どうするかを検討し、常さん一人で行くことになりました。栗さんと私は大島女史を頼って、エトルタ観光を行うことしました。

6月16日(土)
 前日が早く寝たせいで、早々と目覚めました。ヨガ教室に行くと朝600のスタートにまだ間に合わない人が多くなっていました、前日に時間を1時間ほど早める作業を怠ると、5時になっていて遅れていたようです。いつもの3分の2程度の人数で始まりましたが、恵庭の鈴木さんも頑張って、ヨガに出てきてその後の社交ダンスやサルサダンスもやろうということで、午前中3時間ほどワルツとジルバ、ブルースそしてサルサの練習をすることとなりました。食後の吉岡淳さんの世界遺産と私の講演を聞いた後、ベルゲンもフイヨルド観光が可能となり、阿部さん三浦さんに断りを入れて申し込むことにしました。恵庭の鈴木さんと琵琶に似た果物を食べて、お茶会を行いました。

6月17日(日)
 朝6時にフランスのルアーブルに着きました。早速にパスポートの配布が始まり8時ころに船を出発してエトルタに向かうことにしました。あまりに早く出たのでシャトルバスもなくバスのチケットを購入しないで、タクシーで駅に向かいました。ちょうど駅に行く人がいましたので、一人2ユーロで駅まで行くことが出来ました。駅からエトルタまで125ユーロで往復と2時間の待ち時間込みで交渉が成立して、出発しました。駅からエトルタまでは30分程度でした。少し雨模様となりましたが、天候も持ち直して帰るころには暑いくらいになってきました。1030分にエトルタを出てルアーブルの街に1110に帰ってきました。床屋を探しましたが、日曜はお店屋さんが休みということで床屋はやっていないとのことでした。近くの朝市に行ってオリーブや果物を買おうとしましたが、昼食後がよいというので後にしました。昼食はチーズの盛り合わせとピザパイをシェアして食べました。一人前ずつ2品頼みましたが、3人で食べて十分でした。食事が終わって教会を観光して、大きな市場に向かいましたが、途中でピースボートの若者集団に会いましたが、スーパーマーケットは午後1時で終了しているとの情報でした。日曜はどの市場も朝市で午后には終了するとのことでした。仕方なく駅に行ってそこの売店で切手とお菓子を買ってタクシー乗り場から船に直行しました。日曜はほとんどのお店も閉まっていて、観光地以外は静かなものでした。



6月18日(月)
 寄港地明けということで、午前中は何のイベントも体操もダンスもなく、第1回目のヨガは1620分からでした。しかし、いつものように朝4時に目が覚めたので、常さんを誘って6時からモーニングコーヒーを飲んで続けて4階のレストランで食事をしました。常さんは、モンサンミッシェルがとてもよかったと、感想を言っていました。キャンセル待ちでバスだけを確保した人がとてもラッキーな観光をすることが出来たようでした。よかったです。8階で水を補給しようとしていると。大阪で震度6の地震があったとのことでBBCニュースを見た人が騒ぎ始め、ピースボートの事務局に連絡をすると早速に状況を掲示板に張り出していました。昼からのヨガということで参加者は非常に少なく、内部の円状のステージはがら空きでした。しかしコーチの佳那子ちゃんは果敢に新たなポーズを紹介し始めました。有名な「太陽礼拝」のポーズの練習を始めました。22日から6日連続の休暇となってしまうので、その前に各自でできるポーズを紹介したいとのことでした。その後、7階ブロードウエイトいうところで社交ダンスの広場があったので、舞台には上がらず、すずさんを誘ってひたすらワルツの練習とブルースの練習を行いました。しかしまだ、公衆の面前で踊れるほどの状況ではなく、下船する前に行われるであろうダンスパーティに向けてひたすら練習することにしました。栗城さんがやはり「のど」の調子が悪く、診療室に行くとのことで、常さんと一緒に同行しました。常さんはランウエイ・ファションショーに出るというので紙おむつをゲットすることを口実に、栗さんの診察に付き合いました。結局3人で連行したような格好で診療室に行きましたが、病状は軽く肺もインフルエンザも関係ないとのことでした。喉の炎症止めと咳止めをもらって帰ってきました。常さんは、売店で紙おむつを購入して予行練習に余念がありませんでした。

6月19日(火)
 久しぶりの6時からのヨガでしたが、すっかり寝込んでしまい530分に目覚めました。急いでいくと既に栗さんも常さんも来ていて、すずさんと同じころに列に並びました。何とかヨガを終えましたが、最後のポーズで「死者のポーズ」で気絶したようで、記憶が飛んでしまいました。いつものように栗さんは健康サルサ体操に私たちは食事をしてからみんなでサルサに参加することとなりました。それに加えてはじめての社交ダンスに参加して、わくわく寄港地サンクトペテロブルグを聞き、それからみんなでサルサに参加と午前中は大忙しとなってきました。社交ダンスではジルバからブルース、そしてワルツとなりこの日からルンバが始まり途中から始めたので基礎がなく困ってしまいました。さらにサルサは最初から参加していましたが、新たなステップというか技が出てきて、すずさんと混乱する事態となってしまいました。昼食を9階でフォーとアジフライという組み合わせですずさんを誘って食べました。その後、部屋に戻るとハウスキーパーといって部屋の掃除が始まり、追い出されたのですずさんとフレッシュジュースを飲みました。
 この日は、ディナー・パーティということで正装して4階のレストランで食事をすることになっていましたが、その日はランウエイ・ファッションショーや仮想パーティがあって、常さんは顔に化粧をしたまま正装をすることとなりました。食事をして、ランウエイ・パーティの常さんを応援しましたが、そのころから声が出なくなってしまい、その後フォーマルウエアを脱いですぐに寝ました。

6月20日(水)
 朝は起きられましたが、朝から体調は良くなくこの日は午前のヨガ、初めての社交ダンス、わくわくロンドンを聞いて、社交ダンスに戻るとすずさんは朝から続けて練習をしていたようです。サルサの新技術を何とかしたいと思いましたが、新たな技術も加わりさらに大変な状況となりました。
午後に、いよいよ声が出なくなったので、診療室に行って薬をもらうことにしました。やはり風邪とかインフルエンザではなく、気管支炎のようですが薬をもらって治療に専念する予定でしたが、夕刻からわくわく寄港地ヘルシンキが始まり、それを聞いて夕食としました。常さんの友人の誕生パーティということで、夕刻630分からバイヤーという生バンドの酒場に参加する予定でしたが、薬を飲んだこともあり今回は辞退することとしました。栗さんと鈴木常さんはしっかり参加して、サルサのステップで全てのダンスをこなしたとのことです。すごいものです。

6月21日(木)
 薬で少し改善されたが、本調子ではなく咳が時々出ました。ヨガの会場は6時でも人数が少なくなってきていて、前日夜の時間調整がうまくいかなかったようで、常さんも540分に電話で起こす事態となりました。船内新聞を見るとみんなでサルサがなく行われないので、久しぶりに健康サルサを栗さん常さんと3人で参加しました。彼らは社交ダンスに関心がなく、床屋の予約を済ませて私は社交ダンスに参加しましたが、彼等は麻雀に行ったようでした。2時間ほど社交ダンスの練習をしてその後、サルサの練習を行いましたが、午後からのパスポートの受け渡しと、その後のくわくストックホルムと「航路と航海の雑学」があるので、せかされながらも昼食をとりイベントを聞きました。夕食は5時半からユミさんを交えてしばしの寄港地連続の間、ヨガ仲間と会えなくなるのでお互いに健康に注意するように励ましあいました。
 明日は、早い方は朝の715分に出発とのことで、準備に余念がありませんでした。

6月22日(金)
今朝は4時に起きましたが、明るい朝でした。6時にサンクトペテロブルグに入港8時の出発でピヨートル大帝の夏の宮殿庭園に行きました。噴水の素晴らしい講演でした。気温が低く寒い一日でした。雨が降らなかったので助かりました。


6月23日(土)
 前日に続き、サンクトぺテルブルグの観光でした。エミタージュ美術館を中心に「血の上の救世主教会」とイサク聖堂を見学しました。この日はワールドカップが開かれていて、通常の観光客に加えてサッカーファンが来ていて、いたるところでサッカーのユニフォームを着た外国人を見かけました。日本は初戦を2-1で勝っていることから、第2戦への期待が高まっているようでした。
エミタージュ美術館の美術品は近代のピカソを含め多くの貯蔵品があるとのことでしたが、見学しただけでも多量の美術品がありました。優秀なガイドのせいもあって効率よく鑑賞することが出来ました。他の教会も見学しましたが、美術館に劣らず素晴らしい美術品がありました。


6月24日(日)
 前日の夜にサンクトぺとルブルクを出発して、フインランドのヘルシンキに午前11時ころに着きました。そこからオプショナルツアーで要塞スオメンリナ島の観光船での周遊を楽しみヘルシンキ中心街の観光をしました。夕刻17時にツアーが終わったので、ツアーから離れて露天市場でチェリーとブルーべリーを購入して、デパートに行きムーミングッツを買い、歩いて帰線しましたが、市場からの道を間違えてしまい、夕食のタイムリミットぎりぎりとなってしまいました。それでも途中でムーミングッツの店舗で購買もでき、急ごしらえの8人の離団グループは夕食に間に合い改めて自由な観光の楽しさを味わいました。この日は、帰船リミットがなく翌日の1100までに戻ってくれば良いとのことで、帰ってこない方も多くいたようです。



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 寄港地明けということで、午前中のイベントは何もなく翌日のスエーデンへのパスポートの受け取りがあるだけでした。そこで、湘南のビーバーさんとすずさんと社交ダンスの練習をしました。
カルチャースクールの先生も加わっての練習となりました。本来はワルツの練習を重点に進めたいと思いましたが、現在のカルチャースクールの重点がルンバとなっているため、ルンバの練習が中心となりました。結局9時から11時ころまで自主練を行いましたが、カルチャースクールの先生が、帰船リミットの11時にどのくらいの人が遅れてくるのかを見たいというので自主練を終了しました。この日はまた時差調整があり1時間ほど長い一日となりました。