2016-03-31

ピースボートの旅105日間3月30日で終わりました。

やっと日本に着きました。改めて105日間乗船したオーシャンドリーム号を外から眺めて、あの甲板でサンバを踊ったこととか船首のホールでヨガやサンバのエクササイズを受けたことを懐かしく思い出しました。さよならオーシャンドリーム号・ピースボートの旅です。










2016-03-30

ピ-スボートの旅2016年3月29日(火).30日(水)横浜に到着

2016年3月29日(火)横浜に向けて
いよいよ明日横浜に到着となりました。荷物をまとめてしまったのですることがなく、ただ食事をして会う人ごとにお別れの挨拶をしました。同室の方も一日中寝ていたようです。夜の8時ころからサンバの仲間とのお別れ会となりました。心惜しい方たちですが会うは別れの始まりのようで、いつか別れが来るものだとつくづく思いました。フォークダンスの会の青山さんを囲んで夕食会をしようとしましたが途中で情報が混乱してしまい。参加できませんでした。


2016年3月30日(水)横浜に到着
 ついに横浜港に到着しました。着いた途端に携帯電話やメールがどんどんつながるようになりましたが、写真機や充電機やパソコンなど移動用のバックに整理したため携帯電話が唯一の通信手段となってしまいました。大阪の友達も都内に寄るといっていましたが、疲れ切ったようで明朝早く帰ることとなったようです。到着したら寿司や刺身をと思っていましたが、いざ寿司屋に入って刺身を食べましたが、疲れ切っているのかあまり食用はありませんでした。今晩はゆっくり寝て明日から元の生活に戻られるよう頑張ります。105日の世界一周の旅も終わってしまえば短いものでした。しばらくは余韻を引きずりながら、整理をします。旅行を応援していただいたみなさん無事戻ってきました。すこし舞い上がっているかもしれませんが徐々に体験を内面化していきたいと思っています。しばしの間暖かく見守ってください。ありがとうございました。




2016-03-29

ピースボートの旅2016年3月27日(日)・28日(月)

2016年3月27日(日)横浜に向けて
 ヨガ・サンバ体操などのカルチャースクールも最終回となってきました。ヨガもサンバもこの船に乗ってから体験しました。ヨガは開校しているときはほぼすべて通った気がします。サンバについては当初はあまりやる気はなかったのですが、サンバカーニバルのあたりからバテリア(太鼓)チームに入ったことではまり込んでしまいました。航路説明会で各カルチャースクールの講師のあいさつがありましたが、サンバのマーク朋子さんのスピーチがとても印象に残りました。サンバは格好つけて踊るものですが、それは一人一人違った個性が現れる格好よさは一人一人違っている。というもので現社会でも同じだと思いました。オーシャンドリーム号の計らいで、南鳥島付近を航行することが出来ました。島は平たく小さいものですが、カツオドリが島に住んでいるようで船の周りを遊びまわっていました。夜はフォーマルデイとなっていてシャンペンとジュースが振舞われバンドの生演奏でしたがフォーマルな服装にした割にはあまり交流のできるような状況ではありませんでした。また、フェアウエルデナーでは牛肉のワイン煮込みで結構おいしくいただきました。
パーティもデナーも何を食べるか見るかもありますが、誰と見るかも重要な要素と思えてきました。
先日、ボラボラ島で亡くなった方の追悼式が行われました。100日間も同じ船にいた方が事故で亡くなったとはいえ、何か虚しいものを感じました。



2016年3月28日(月)横浜に向けて
昨日は一日中、WIFIの状況が安定せず日曜ごとに家に連絡するのが出来なくなってしまいました。本日の朝も相変わらず電波状況が悪く連絡が取れないままに日中を過ごしました。ヨガもサンバもなく朝のモーニングコーヒーから朝食、そして荷物整理と何もない日中を過ごしました。同室の鳥博士の須藤さんは「クジラとあほう鳥」を見たといって得意げにしていましたが、残念なことにその時間は荷造りに追われて部屋にいました。ヨガやサンバ・フォークダンスなどの企画が無くなったこともあって、多少気が抜けた感じになってしまいました。夕刻になってゲットやカルチャースクールの講師たちによるパフォーマンスがありましたが、睡魔に襲われ寝ることにしましたが、念のためWIFI接続を試みると強力に接続されましたので、ラインを使って家族との連絡を取りました。約2週間ぶりの連絡になりましたが、送ったお土産はもう食べているとのことで、安心しました。明日29日は荷物の発送になるので身の回り品以外はすべてなくなってしまいます。
実質的に本日が最後の船旅の生活となりました。振り返ると時間と費用も贅沢に使った楽しい旅だったと思っています。送り出してくれた家族と仲間に受け入れてくれた船旅の皆さんに改めて感謝します。


2016-03-27

ピースボートの旅2016年3月26日(土)横浜に向けて

2016年3月26日(土)横浜に向けて

 いよいよこの旅行も終わりとなってきました。
ピースボードが用意したイベントも大仕掛けのものは「リップ・ダブ」だけとなりました。
ヨガ・サンバのカルチャースクールで打ち合わせたように船内のいたるところに各チームごとに集まりノンカットでビデオを回し続けるというものでした。人によってはいくつものチームに入っているので、掛け持ちをしてカメラと一緒に動き回っていました。リハーサルに1時間、本番に約30分かけての撮影でしたが、本番直前に雨が降り出し最終の集合場所を船内の会場に変更するというハプニングとなりました。他のイベントがほとんど終わってしまっているので、多くの方が参加することとなりました。夕刻、数少ないイベントの一つで「元気に長生きするためにースローライフ・幸せ・スローデス」という講演のようなパネルデスカっションのようなものがありましたが、あまりピンと来るものではありませんでした。

2016-03-26

ピースボートの旅2016年3月25日(金)横浜に向けて

2016年3月25日(金)横浜に向けて

 カルチャー企画も残りわずかとなってきました。ヨガ教室では船を降りた後でも続けられる呼吸法やストレッチの方法などの紹介がありました。サンバエクササイズでは昨日のお礼も併せてドリマーズがとても高い評価を受けていました。本日はダンスの部ということでフォークダンスの発表となりました。午前中にリハーサルそして午後に本番というあわただしい発表会となりました。いつものサンバの服装で踊りましたが、明日もリップダブという口パクと流しビデオを合わせたような企画となっていました。午後2時から各会場に集まりカメラが駆け抜けていくというものですが、その下準備に結構時間が割かれました。フォークダンスの発表が終わった後記念写真を撮りました。また、ジュースで乾杯をして100日の交流を名残惜しんでいました。

2016-03-25

ピースボートの旅2016年3月24日(木)横浜に向けて

いよいよ「南でみんなの発表会」当日となりました。
朝のヨガ教室を受講して朝食を取った後、第1部の開始とりました。
舞台の裏に楽器を運び込み、開演前にはバテリア16名が楽器を持って舞台裏に陣取り、踊り隊の約60名が舞台の上に立ち所狭しと整列しました。
大所帯で準備が必要なことからトップバッターとなりましたが、出演者はやる気満々でうまく踊れる方もそうでない方も舞台いっぱいに広がりました。圧巻はサンバエクササイズのマーク朋子先生がオーダーメイドのサンバ衣装に身を包み?テーバックの露出部分の多い背中や頭から羽が出ている衣装で圧倒的な踊りを見せていただいたことでした。
私はバテリアですので後方の隅にいましたので、その晴れ姿は見ることが出来ませんでしたが、観客はもちろん踊り隊のメンバーもその衣装を見て歓声を上げていました。
発表会は私たちのビバサンバ踊り隊を皮切りに朝の9時から夜の9時半まで各チーム10分程度ですが延々と披露していました。
100日にわたる船内生活で学んだことや体験したことの発表ですので、皆さんきらきらとしていました。会場が暗いためうまく写真にとれなかったのですが、ピースボート事務局がビデオを作っているので後日見てみたいと思っています。




2016-03-24

ピースボートの旅2016年3月23日

2016年3月23日(水)横浜に向けて
昨夜19:00頃に、マジュロを出港し一路、横浜を目指すことになりました。最後の出港式ということで後方デッキに集まり、マジュロの港を見送りました。ジャンペンやジュースが提供されデッキの上で踊ったり歌ったり旅の終わりを迎える興奮が会場のデッキを埋めていました。明日は「南でみんなの発表会」ということで、リハーサルが行われました。サンバエクササイズで練習をした後そのままリハーサル会場になだれ込むような感じでしたが、バテリアを含めて総数60名を超える「ビバサンバ踊り隊」は当日のトップになるとのことでした。みんなの発表会は44チームが出場ということで、24日と25日に分けて行われることとなりました。もう一つのフォークダンスは25日となり、連日出場ということになりましたので、本日は最終練習日となりました。


2016-03-23

ピースボートの旅2016年3月20日から22日まで

2016年3月20日(日)タヒチ~マジュロ(3/22)に向けて
 朝からヨガ・楽器練習・サンバエクササイズと忙しく進んできましたが、サンバエクササイズの中でバテリアの音が大きく他の講演の妨げになるとのことで練習が中止となりました。最後の航路説明会があり次の寄港地マジェロと横浜までの経路についての説明でした。マジェロはマーシャル諸島の一つで、ピースボートとしても初めての訪問地とのことでした。ツアーもあるのですが、専門の観光業者もいないとのことで、ツアーバスも現役のスクールバスを活用するとのことでした。ピースボートの説明によれば、このマジュロを訪問する理由は、①気候変動による海面上昇の危機にあって島が沈んでいく可能性があるから。②ビキニ実験など核問題、第二次世界大戦など日本の戦争とかかわりが深いこと。③何もなく観光化されていない島だからこそ。④住む人たちの交流を実現したい。の4つとのことでした。22日は自由に街中を見て回ろうかと思っています。日曜日なので家に連絡しましたが、3時間の時間差はお互いの生活環境に合わせるのにちょうど中途半端な時間となりそうです。今週もまともに連絡が取れませんでした。

2016年3月21日(月)タヒチ~マジュロ(3/22)に向けて
 寄港日前日となってしまいました。何とかサンバエクササイズでバテリア練習ができるようになってきましたが、「南でみんなの発表会」の企画説明会があり、10分以内での発表となりました。振り付けはよいのですが、バテリアの準備や会場づくりが大変のようです。午後から余裕が出てきたので少しだけ、荷物の整理を始めました。かなり持ち込んだのですが使い切れたのは三分の一程度だったような気がします。もし次回の旅があるならもっと手軽な荷物で済むような気がします。

2016年3月22日(火)マジュロに着いた
 朝6:00に入港しました。朝は曇り空でしたが出かけるころは炎天下の猛暑となりました。船から着岸場所を見ると着岸した岸から反対側の海岸までほんの数百メートルくらいしか離れていなく、向こう側の海が見えてしまうようでした。船の先頭側は島の右側となるのですがここも数キロ行くと行き止まりとなるようです。船の後尾の左側に町があるようですが、10の島々を橋で繋げたとのことで全長48キロメートルの大きな島となったようですが、幅の狭い島で端から端まで一本の道路でつながっているとのことでした。暑いこともあり、10時ころに出発をしましたが、近くの海岸で水遊びをして、スーパーマーケットでキャンディのソフトドリンクを買って大急ぎで帰ってきました。船の中で、島の高校生や伝統舞踊を披露する交流があり、「こんにちは・ありがとう」など日本語が結構飛び交っていました。私は覚えたての折り紙を提供しましたが、なかなか高校生の興味はひかなかったようでした。



2016-03-21

ピースボートの旅の写真イースター島と音楽祭

しばらくWIFIの調子が悪く映像が送れませんでした。イースター島でモアイを手に載せた写真と
最近の洋上音楽祭の写真を掲載します。もう一つタヒチのボラボラ島で滝を手にした男になりました。どの写真も最高の思い出の一つです。




2016-03-19

ピースボートの旅2016年3月10日から3月19日

2016年3月10日(木)イースター島~タヒチに向けて5
相変わらず太極拳からヨガの予定でしたが、ヨガのトレーナーが前日の運動会の綱引きで腰を痛めたとかで、お休みになりました。代わりにサルサ体操が入り結局体操とバテリアの練習で午前中は忙殺されてしまいました。サンバエクササイズのまとめ発表会で生音で踊りたいとの話が出てきましたのでさまざまと調整に入りましたが、あまりうまく進まないようです。企画内容が発表されてから準備に取り掛かりたいと思いますが、どうなることやらです。

2016年3月11日(金)イースター島~タヒチに向けて6
洋上音楽祭に向けて寄港地の日は練習が出来ないので、貴重な合同練習の日にちとなりました。合唱グループを率いる庄司先生とバンドを率いる石田陽子さんグループと沼田夏奈さんのバテリアグループの初顔合わせとなりました。なかなかテンポが合わず一分間に130のリズムを基本にお互いが練習することになりました。しかし、それぞれの楽器のスタートと終わりを確認しながら合わせの練習に時間を費やしました。サルサも本日が最終日ということで、ピースボートの田村美和子さんと一緒に記念写真を撮りました。そろそろ旅行も終盤ということで記念作りに乗船者からサイン帳に一言を求められる状況となってきました。

2016年3月12日(土)タヒチ・パペーテ
 いよいよタヒチに着きました。海岸線には高級なヨットが停泊しておりフランスの植民地となっているためか高級なリゾート地といった感じでした。海岸線はホテルのプライベートビーチが多くサーフインや水上バイクやヨットが海岸線で数多くみられました。私はタヒチの自然体験ということで、パぺノオ渓谷に行くツアーに参加しました。山奥にある数十の滝や湖を見ながら四輪駆動車の荷台に乗り込み急こう配の山道を駆け上ったり、山中の川で泳ぐことが出来ました。ただ、荷台に7人が乗るのですが、参加者の一人が景色とは関係なく一人で話しまくり皆の顰蹙を買う騒動もあり結果的には思い出に残るツアーとなりました。夕食をパペーテの街で食べようとしましたが、土曜・日曜はお休みをする店が多く、結局観光者向けの屋台の食堂で食べることとなりました。しかし量が多く、食べきれないほどの夕食となりました。




2016年3月13日(日)タヒチ・ボラボラ島
 前日の夕刻に出港して朝の6時にはバラボラ島に着きました。船からは送迎船に乗って島に渡ることになり、ボートでついてみると本当に小さな島で、1週35キロ程度の島とのことでした。ピースボートの人々が町中にあふれて、小さなスーパーマーケットは一瞬日本のお店のような雰囲気になっていました。多くは貸自転車やタクシーで海岸線にある海水浴場に行きましたが、ツアーでシュノーケリングを楽しんだ方が、水難事故で亡くなりました。その関係で午後からのツアーは中止となり、一時混乱状態が続きました。私は、同室のメンバーとスーパーマーケットや海岸線を散歩して船に戻ってきました。観光するほどの島ではなくヨーロッパからのリゾート地としての役割でのんびりした島のようでした。日曜日に日本の我が家と連絡をすることとなっていたため、昼の3時ころに電話をしましたが応答がなく、不思議に思いましたが、よくよく考えると時差が20時間ほどになっていて、日本では月曜日の夕刻7時過ぎになっていたようです。

2016年3月14日(月)タヒチ~マジュロ(3/22)に向けて
 前日の夕刻に出発、次の寄港地が最後になる予定です。しばらくは一路8日間の船上生活となりますが、この旅行も後残すところ2週間になってきました。また、明日は洋上音楽祭ということでこれまでの練習の成果を発表することとなります。朝のヨガ体操の後、打楽器練習、そしてリハーサルのため実際の音楽祭の会場へ楽器を持っていきました。立ち位置を考えたり予定リハーサルの30分はすぐに終わってしまいました。今日はホワイトデイでした。バレンタインデイに7名の方からチョコレートをいただいたので、お返しのクッキーを用意して何とかお渡しすることが出来ました。


2016年3月15日(火)タヒチ~マジュロ(3/22)に向けて
いよいよ洋上音楽祭当日となりました。恒例のヨガストレッチと楽器練習広場に参加してから、午後のサンバストレッチ教室でバテリアの最終調整と練習となりました。洋上音楽祭は第一部13:00~16:30そして第2部の17:00~20:15分の間に20チームが演奏することとなりました。私たちは第2部の先頭で、ドラムやスルド・ペキニキそしてサウンドシェイプなどの楽器が多いこともあり、準備の関係から第2部の先頭とさせていただきました。合唱隊・バンド隊そして私たちバテリア隊を入れると総勢40名近くになり、サンバを踊りたい方たちを含めると70名方が音楽に合わせてサンバを楽しみました。マーク先生の踊りもあったため観客は200名以上となったかと思われます。さすがに疲れ切ってしまいました。

2016年3月16日(水)タヒチ~マジュロ(3/22)に向けて
 洋上音楽祭が終わったので一息入れていますが、朝の楽器練習広場に行ってみるとペキニキを叩いている姫さんとスルドのノンちゃんが参加していました。スルドを分担して叩いているとアキさんが応援に来ました。時間は9:00まででしたので30分程度で終了しました。9:30~最後の防災訓練が行われました。部屋から救命胴衣を身に着け指定された場所に集合して点呼を受けます。救命小型ボートの乗り口で解散するものでしたが、約1時間半かかりました。気温は次第と熱くなってきており船上でも熱射病になりそうなものでした。これからますます熱くなりそうで大変です。午前中に防災訓練があったためサンバエクササイズは夕刻500~開始となりました。最終発表会が24日に決まった多とのことで、サンバのマーク先生とダンシングチームのドリーマーズとバテリア隊が協力してビバサンバ90を再現しようと考えています。ドリーマーズに誘われ6:00~カラオケ、8:00~茨城県人会など夜遅くまで行事が重なってしまいました。

2016年3月17日(木)タヒチ~マジュロ(3/22)に向けて
 朝のヨガ・楽器練習広場・サンバエクササイズと忙しい日となりました。今夜、日付変更線を通るため明日18日は消失し朝は19日となるとのことです。そして日本の時間より3時間ほど早い状況となるとのことです。なんだか一日を失ったようで不思議な気分です。2:00からのサンバエクササイズの時間にバテリアとの合同練習となり24日まで続くとのことでした。サンバが終わりフォークダンスのチームに行くと、ここでも24日に向けての練習となっていました。急いで教えてもらい本番の参加に間に合うように調整をしたいと思っています。折り紙の先生との夕食会を6時から考えていますが、ほかの研究会や県人会の集まりも多く予約はできないようでした。とにかく行って注文しようということとなりました。どうなることやら?
  
2016年3月19日(土)タヒチ~マジュロ(3/22)に向けて
昨日は17日だったのですが、今日は19日になってしまいました。これで日本と同じ日にちですが、日本より3時間ほど早いこととなりました。一日中、バテリア練習とフォークダンス発表会の準備に追われました。残すところ10日前後となってきましたので、各所でお別れ会の準備が進んできました。マジュロが最後の寄港地となるのですが、特に見るところもなく街を散歩して帰ろうかとも思っています。

2016-03-10

ピースボートの旅2016年2月29日~3月9日

2016年2月29日(月)バルパライソ~イースター島へ(3月3日)
うるう年の2月29日、4年に一度の29日で誕生日の話題で盛り上がりました。実際には前日か翌日の3月1日にするのが普通のようで、実は私の父も2月29日生まれであったことを何気なく自慢していました。4年に一回の誕生日なのでまだ10代だといってはしゃいでいました。
船の中ではいつものように太極拳やヨガ・サンバの教室に加え、健康サルサとサルサダンス教室が始まってこれに加えて、サンバのバテリア練習が加わり朝の6時から昼過ぎまではぎっしり予定が組まれてしまいました。午後にはフォークダンス教室と「洋上ミュージカル」<A COMOMMON BEAT>の発表会があり、バテリアチームの数人が出る関係で、観客となって参加しました。出来は人それぞれに感想を持っているようですが、香港人のヴィッキーやエミー、20代の音大卒の「ひろみん」やシニアの鳥居さんや高村さんなどが一生懸命にひと月以上練習を重ねてきた姿に感動しました。相部屋の人は高校生と大学生の混合学園祭みたいな感じで、途中から中座してしまいましたと連絡をいただきました。ともあれ、コモンビートは56名の参加のもとで行われた、ミュージカルで若者の音感とリズム感には躍動するものを感じました。明日からはバテリア練習に参加してもらえそうです。

2016年3月1日(火)バルパライソ~イースター島へ(3月3日)
 朝から太極拳・ヨガ・サンバ教室、サルサ体操と相変わらず体操を続けていましたが、乗船したころに社交ダンスの習得で一緒だった方から再度、社交ダンスに誘われました。29日から初級のワルツが始まったので、ぜひ参加してほしいとのことでしたので、試しに参加してみました。見よう見まねでステップを練習しましたが、ビデオに撮って練習したほうがよいとのことで、よく日にビデを取ることにしました。コモンビートが終わったのでバテリアチームに大勢の方が、来るかと思いましたが、でコモンビートの終了コンパや集合写真撮影などとまだ後始末関係で参加できないようでした。しかし、楽器の持ち場を決めようとのことで、私は、大きな太鼓(スルド)を希望しました。音感的には若いビッキーやエミーのほうがよいのですが、シニアの方がスルドを希望していることもあって難しい楽器に移ってもらうことにしました。フォークダンスでは「血液型ガタガタ」という曲が大うけしていて、マイムマイムやオクラホマミキサーなどの曲とあわせて、最終発表会で踊るようです。

2016年3月2日(水)バルパライソ~イースター島へ(3月3日)
ついに私が選択している企画が重複するようになってきました。太極拳やヨガはいつものようでしたが、サルサ体操が入ったため?サンバエクササイズがなくなり、サルサ教室とゲットスピーチフェステバルの応援や自主企画の申請手続きが重なり、フォークダンスとバテリア練習が重なり社交ダンスのビデオ撮影が最後になってしまうなど、大忙しの日となってしまいました。明日からはイースター島に到着するために様々な企画は取りやめとなりました。船が沖合に停泊して小型のボート(9人乗り)で上陸とのことで、一度に上陸が出来ないことから3日と4日にかけて上陸することとなりました。私は当初3日の10時ころの上陸予定でしたが翌日の4日に変更となりました。そこで3日の日がまったくフリーとなってしまうため、熊本弁を使う素敵な大阪人のおばさんに羽の動く鶴の織り方を教えてもらいました。一度見ただけでは覚えきらなかったので、折り紙に線を入れて順番を書いていただきました。自分で作ったものと折り紙先生の作ったものを持って、部屋で何度か作りましたが、似たような形にはなりましたが、なんだか違うものが出来上がり翌日に再度お教えを乞うことにしました。

2016年3月3日(木)イースター島(ラパヌイ)
6時のモーニングコーヒーはありましたが、太極拳やヨガ・サンバ教室もすべて中止となっていました。生憎と雨交じりの曇り空で、6時到着予定でしたが島の港の波が高く着岸できないとのことで、数回にわたって錨をおろす場所を変更しましたが、結局昼過ぎに最初の場所に錨をおろしました。本来ならば朝8時ころから上陸する予定でしたが、50名くらいのツアーが上陸し、島から船に来るはずだった子供たちも来られなく交流は中止となりました。私は羽の動く鶴を子供たちにプレゼントしたく折り紙先生に再度お教えを願い、何とか設計図を見なくても作成できるようになり、大急ぎで20数羽の羽の動く鶴を作成したのですが、残念なことにその交流会はなくなってしまいました。また、昨日のフォークダンスとバテリア練習が重なったことで、フォークダンスの途中からバテリアの練習に行ったのですが、その直後に船内ビデオ放送の撮影があったようで、フォークダンスの自主企画は一躍有名になっていました。結局私は登場することなく終わってしまいました。何ともタイミングの悪い一日となってしまいました。さらに3日に上陸する予定だった200名近い人は翌々日(5日)に延期されました。本日に上陸した人も曇り空と、企画の調整不足できちんとした交流はできなかったようです。

2016年3月4日(金)イースター島(ラパヌイ)2日目
 いよいよ私たちの上陸の日となりました。朝から晴れ渡り波も穏やかになり、絶好の観光日和となりました。やはり9人乗りのボートに乗り込み総勢400名近い方々が上陸をしました。上陸地点にもモアイ像はありましたが、日本の土建業者が修復したという15体のモアイ像は迫力のあるものでした。モアイ像の作成の秘密はいまだに解明はされていませんが、酋長のお墓ではないかとの説が優勢です。観光は島を一周するものですが、横25キロ、縦12キロの2等辺三角形のような島ですので、簡単に回ることが出来るのですが、島の中に作りかけを含めて1000以上のモアイが確認されたようです。さらに鳥人伝説というのがあって、絶壁を300メートルほど降りてその海岸から1.5キロメートル離れた島に背黒アジサシの卵を取りに行って、また引き返して崖をよじ登りスタート地点に帰ってくると、そのご褒美として酋長候補となりさらに色白の女性と結婚できるというものでした。私には到底無理な注文で、バンジージャンプでさえ嫌なのに最初からご辞退申し上げたいものでした。天候にも恵まれ本物のモアイ像をまじかに見ることが出来ました。とても素晴らしい一日となりました。




2016年3月5日(土)イースター島(ラパヌイ)3日目
 昨日に引き続きよい天候に恵まれました。寄港日なので全ての行事はなくなっていましたが、急きょラパヌイの子供たちとの交流やキュウバンサルサのレッスンなど船内放送で案内が始まり、行われることとなりました。初日に上陸できなかった人に加え初日に観光した人たちも再上陸することが出来、皆さんは大満足の様子でした。子供たちの交流ではその場で羽の動く鶴を作り、数名の子供に作り方を含めプレゼントできました。また、サラサも新たなステップをマスターしました。最後には、ピースボートの船ごと島を約半周してモアイ像を海側から見ることが出来ました。日没が夕刻20:46分とのことでできるサービスのようでした。船の客員は残り少なくなった寄港地の数を数え名残惜しむかのようにイースター島を見ていました。結構充実した一日となりました。


2016年3月6日(日)イースター島~タヒチに向けて
前日の夕刻にラパヌイを出港してタヒチのパテーテ島に向かっています。朝から通常の太極拳・ヨガストレッチの合間に、楽器練習時間が増えてきました。800930の間に約一時間ほどスルドとドラムの合わせを行っています。朝3時ころに起きて日本の我が家と連絡を取ろうとしましたが、WI・FIの電波が弱く連絡が取れませんでした。日本との時差は15時間となってきたので、日本の午後8:00に連絡を取ろうとすると朝の4時ころに連絡を入れる必要が出てきました。このところ毎日のように、時間調整が始まりタヒチに着くころには18時間くらい遅くなる感じです。もっと日本に近づいて日付変更線を越えてからは、数時間早い時刻となる予定です。タヒチのパペーテまで7日間の航海となりますが、その間に洋上運動会などが計画されその準備に忙しい日々を送るようです。本日は洋上結婚式や桃の節句と社交ダンスパーティーなどがあり、フォーマルな服装を着ることにしました。久しぶりにネクタイをしました。

2016年3月7日(月)イースター島~タヒチに向けて2
 9日に行われる洋上運動会は、赤・白・黄色・青の4チームに分かれての競技となり各組ごとに団長や会長、応援団長などを作り、10種類程度の競技から出場希望をだし応援の練習や競技の説明が行われました。私は、15日の音楽祭の準備もあり座り玉入れの競技だけにして、ほとんどを応援することにしました。太鼓練習ではCCの安藤歩さんからメトロノームをお借りして、1分間に130のリズムで進めることとしました。おかげで何とかスルドとドラムの音が合うようになってきました。朝の体操からヨガ、サンバ、サルサ、バテリア練習、フォークダンスと分刻みのようなスケジュールとなってきました。夜の900にサンバカーニバルの時踊り部隊「ドリーマーズ」の会合があり是非、まとめ発表会では踊りたいとの希望が出されました。この時間は寝ることにしていましたが、時間調整で1時間ほど遅らせた関係で、朝を遅く起きることにして対応しました。

2016年3月8日(火)イースター島~タヒチに向けて3
 レセプションセンターからWIFIの接続が可能になったとの連絡が入りましたので、さっそく日本の家族と連絡を取ることとしました。朝の4時半にかけて日本の7時半でした。何か日本は暖かく梅が咲き始めているとのことでした。早く起きすぎて寝不足気味でしたが、ヨガ体操、バテリア練習、サルサ練習サンバ練習と10項目のスケジュールを分刻みでこなすこととなりました。初めて、音楽祭の課題曲の「ビバサンバ」の歌い手とバンドグループとバテリアの合同練習が行われました。

2016年3月9日(水)イースター島~タヒチに向けて4
 洋上大運動会当日となりました。私は白チームでしたが、前夜祭での成績の関係で最下位からの出発となりました。白組の団長はうら若き女性でしたが、周りの若者からの応援もあって次第に団結力が高まり総合第2位の成績となりました。朝方は小雨が降るような雰囲気でしたが、次第に天気も持ちかえし、熱気と太陽の暑い日ざしで暑い日となりました。総参加者は650名くらいとの情報でしたが、大半の方が運動会に参加されたものと思われます。久しぶりの運動会を楽しみました。