2016年2月6(土)リオディジャネーロ入港1日目
リオディジャネーロにつきました。7日8日とサンパウロに行くことにしたので、バスのチケットを購入することとリオの市内観光をしました。バスは往復5000円程度でした、それから貧民街の食堂や植物園を見て、海岸線を観光しました。
夜から21:00~翌日4:00までカーニバルを観戦しました。年中常設の観覧席から審査委員席が見えるところに席が設けられていました。コンクリートの座席の上に薄いスポンジ状の座布団を使って座るのですが、2時間も座るとお尻が痛くなってきて、リズムもよいので、踊りだす人が続出していました。
2016年2月7(日)リオディジャネーロ入港2日目
朝帰りですが、夜行バスでサンパウロに行くことにしたので、長距離バスのターミナルまで歩くこととしました。結構、寂しいところを通っていくことになりそうなので、夜はタクシーを利用することとしました。あと後、問題になりましたが、愛知県から来たという吉本氏がついていきたいというので、歩いてバス停まで行き切符の手配を協力しました。夕食を一緒にとって出発をシャトルバス停車場のタクシーツアーデスクに決めて、そこでタクシーの手配をしようとのことでしたが、いざ行ってみると、姿がなく同室の須藤氏が心配して船まで戻り、同室の方に聞くとだいぶ前に出発したとのことでした。結局9時過ぎまで待っていましたが、現れなかったので、ツアータクシーに乗って、バスターミナルに向かいました。到着すると、タクシー乗り場にいなかったので、先に歩いてきましたと堂々としていました。悪びれることもなく「よう!と声をかけてきて、いなかったから歩いてきたと、自慢そうに語っていました」。同室の友人は、憤慨して謝罪を求めましたが、いなかったので歩いてきたと、何の反省もなく言い訳ばかりをしていました。あまりにもひどい対応でしたので、その後の交流を断ち切ることにしました。結局、行も帰りも同じバスになりましたが、顔を合わせても挨拶もしない関係となりました。
2016年2月8(月)リオディジャネーロ入港3日目
朝の6時ころにサンパウロのバスターミナルに到着しました。行のバスで知り合った群馬県の太田市に3年ほど暮らしたことのある若者に、地下鉄の乗り方を教わり、そこで別れましたが、若い人たちのほうが、よほどにきちんとしているものと思いました。
サンパウロのリベジダールという日本人街に着くと、ピースボートの若者が2人で歩き回っていたので、若干の情報交換をしました。リベルタージの町では移民一世の方にもお会いし、2世、3世の方とも交流が出来ました。また、日本人街だけあって、日本町の屋根や鳥居そして三つ巴のコンクリートの道路敷きやちょうちんや鴨居のような歩行者交通信号など、日本人街らしくなっていました。バスで一緒だった3世の若者は、「あの地域は下町だから、気を付けるように!」との連絡もいただきました。さまざまな記念館はカーニバルの関係でお休みしている施設ばかりで、その意味の歴史的建造物の観光とはなりませんでした。しかし、ここに住む日系の方々は右も左もわからない土地に来て、よそ者扱いから苦しい時代を経て何とかに日本人・ブラジル人として生きてこられたわけで、何とかこの地に住み着いた移民の皆さんのご苦労に、心より敬意の念を表したいと思います。
2月8日の深夜23:30分のバスに乗り、周りを見ると非常識な老人とピースボートの若者も同じバスで帰船しましたが、他のバスでも5~6人深夜バスを使ってサンパウロに来ていたようでした。
2016年2月9(月)リオディジャネーロ入港4日目
バスの中は快適で、リクライニングがよく効いていてぐっすり眠ることが出来ました。シャトルバスの入り口で、WI・FIが使えるとのことですので、ゆっくり時間を取ってFBの友人と更新したいと思います。ブログの送信は、無理のようでしたのでこちらはいつもの有料WI・FIを使って送りたいと考えています。しばらくぶりのブログの更新になります。
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